13日(木)一般質問 通告項目

12月 6th, 2012 by hasegawa

12月13日(木)一般質問を行います。私は一番目ですので、当日10時からです。

12月議会では、私を含め、6人の議員が一般質問を行う予定で、13日の一日で終了する予定です。

(1.長谷川 2.久保田陽一議員 3.風間健一議員 4.阿部正行議員 5.山本道男議員 6.山賀一雄議員 )

一般質問 通告

1.  市民一人ひとりが大切にされる安心・安全な暮らしを守る施策について

~当市における障がい者・子育て・男女共同参画をめぐる諸課題~

(1)市立特別支援学校が平成26年に開設される当市において、障がい児・者の教育・就労・雇用継続の確保に積極的施策を展開していくべきではないか。

①障がい者の法定雇用率が平成25年4月1日より引き上げられるが、市としての取り組み準備・前倒し採用や市内事業所への啓発活動は万全か。

②障がい者授産施設で就労している方の自立支援にむけた「月額賃金の改善」や安定的な仕事保障を図る取り組みを当市でも具体的に積極支援すべきではないか。特に十日町市のシルバーポストカード制度や高齢者宅の軽度生活援助(訪問ごみ回収・安否確認等)を委託するなど、超高齢社会における福祉的就労などの面で官公需の拡大を図る考えはないか。

③当市では就労継続支援A型事業を行う事業所はないが、将来設置されるべく、例えば、業務の委託先を選定する際に、談合批判を受けやすい随意契約を減らし、プロポーザル方式(企画・提案型競争)の入札を積極的に導入するなどの取り組みを行うべきと考えるが、市長の見解を伺う。

(2)こどもを産み・育てる環境整備こそ、未来の小千谷の活性化につながる。子育て環境の整備に取り組み、仕事と家庭生活の両立支援を着実に進めるべき。

①市職員の産休・育児休暇・介護休暇の取得率改善をどう進めているのか、男性・女性職員の取得率(%)を含めて市長の見解を伺いたい。

②当市における「子ども・子育て支援事業計画」策定の進捗状況について伺う。

③「地方版子ども・子育て会議」が今後の「子ども・子育て支援事業計画」、ひいては、当市におけるこどもや子育てをめぐる環境整備の核になるものと認識できるが、当市においては、「地方版子ども・子育て会議」をどう位置づけ、活用していくのか、構成委員メンバーも含めて、市長の見解を伺う。

④男女共同参画推進協力企業登録(ハッピー・パートナー企業)に当市はなぜ登録していないのか、市長の見解を伺う。

⑤全市町村における複数の女性農業委員構成の農業委員会の実現を県は平成24年度達成目標にしているが、当市においては県からの指導等ないのか。なぜ、達成できないのか、理由を市長に伺う。

2.  将来への展望を切り開く地域経済活性化策を!

~地域の雇用・産業を守る諸課題~

(1)長、中、短期の戦略の構築と投資政策を図るべき。

①現在の市内における景気・雇用情勢をどのように市長は判断されているのか、見解を短的にお聞かせいただきたい。

②異常な円高水準・デフレスパイラルの長期化・海外経済の不透明感から先行き不安が強まっている。中小企業への経営安定化に対し、当市としても、今冬、迅速に、融資制度の創設等を新たに行い、経済特別対策を打ち出しているが、需要創出や受注確保への支援、公共調達の拡大等、市として地域経済の振興策を今後、どのように行っていくのか、見通しを伺いたい。

③産業構造の変化の波にさらされている昨今、小千谷版グリーンニューディール政策の取り組みを行うべきではないか。再生可能エネルギー分野に対する取り組みを加速させることで、製造業・農業・林業に対して、高付加価値をつけるべく、積極的な支援策を打ち出すことが必要と考えるが、市長の見解を伺う。

④6月に大量の希望退職を募ったオンセミコンダクター社(三洋)について、小千谷・長岡地域緊急雇用対策本部も設置されているが、再就職状況など含めた現状について伺う。対策本部設置以外の更なる当市の支援策はとられないのか。また、工場集約に伴う小千谷工場への人員集約の現在の状況を伺う。

3.  小千谷で暮らし続けられる安心を確保する防災計画作成を!

~柏崎・刈羽原子力発電所に大きな影響を受ける当市について~

①    来年3月までに策定する防災計画策定の進捗状況について伺う。

②    2012年11月2日に市町村研究会による「実効性のある避難計画(暫定版)」が取りまとめられたが、ヨウ素の配布や備蓄・避難体制など、当市はどのように行うべきと市長は考えられるか。見解を伺う。

③    泉田知事は東京電力福島第1原発事故に伴う損害賠償を年内にも東電に請求する考えを明らかにし、放射性物質を含む汚泥の処理や食品の放射性物質検査などの費用を請求する方針を示しているが、当市においても、工業用水汚泥の保管やその処理など、福島原発過酷事故によりもたらされた当市の損害を㈱東京電力に賠償請求すべきと考えるが、進捗状況を伺う。

④放射能測定・除染・保管・学校給食対応・農業土壌検査・食品、農作物の検査等の料金など、現在までの原発事故対応での当市の損害金額を市民に明らかにすべきだと考えるが、いかがか。

⑤ ㈱東京電力が、当市に柏崎・刈羽原子力発電所の過酷事故の際、後方支援拠点を設置したいとの申し入れがあったが、話し合いの進捗状況と当該事案に関する市長の見解を伺う。

⑥ 町議会で「再稼働を認めない意見書」を可決し、上村町長も「再稼働に賛同できない」と表明した湯沢町、「事故の検証が終わっておらず、市民が納得するのは難しい。再稼働を判断する時期ではない。」と語った上越市の村山市長。また、原発再稼働に慎重な姿勢をとっている会田柏崎市長、大平魚沼市長も、先日の市長選で、再選されました。柏崎・刈羽原子力発電所の再稼動について、市長の見解を伺う。

福祉の現場も日々研鑽です!

12月 5th, 2012 by hasegawa

少し前の話題ですが、新潟県認知症高齢者グループホーム協議会(代表世話人小山剛)の地区別研修会が11月28日にアオーレ長岡であり、参加してきました!

高崎健康福祉大学の山上徹也先生を講師に、「認知症のリハビリ~基礎知識と実技講習~」の講演。

  

また11月28日夜には、ほのぼの小千谷福祉会で、国際こども・福祉カレッジの小柳縁先生を講師に、「社会福祉施設・事業所で働く介護職員のためのマナーアップ、コミュニケーションアップ研修」を開催しました。

  

どちらの研修でも、座学だけでなく、演習もあり、新たな気付きをたくさんもらえた研修でした!

※先日の新潟日報に、新潟県認知症高齢者グループホーム協議会の代表世話人でもある小山剛さんのインタビュー記事(2012年衆院選 社会保障県内識者インタビュー)が掲載されていました。

介護現場の人材不足に対して、「増え続ける高齢者人口に対し、働く年齢層の全体の人口は減っている。人材を確保し続けるには、介護報酬の引き上げだけでは足りない。労働力の集約も必要だ。」とのご意見。

本当に介護人材・労働力の確保は、県内の多くの事業所が頭を悩ませているところではないでしょうか。

「若い労働力を集めにくい地域ではテレビ電話など緊急連絡システムを整備し、地域の高齢者を雇用して業務を効率化する取り組みも必要。」「採算のとりにくい地域ほど、地元の社会福祉協議会や社会福祉法人が責任をもってサービスを提供していかなければならない。」などのご意見には、新潟県の中山間地域での高齢化の問題の複雑さが見えるところです。

介護の人材確保・住み慣れた地域で暮らし続けていきたいという想いの実現など、ほのぼの小千谷福祉会も日々、試行錯誤している課題です。

いろいろな知恵を集めて、この高齢社会を生きる皆の幸せに繋げていきたい。

理念をぶれずに、いろいろな知恵を集めて、地域で暮らし続ける・続けられる暮らしを維持していく。

そんな地道なことのひとつひとつが大切だと思っています。

平川克美‏さん(事業家、文筆家)もこうつぶやいています。

「リセットとか、大改革とか、経済成長とかは発展途上段階のモデル。人口が急激にシュリンクしてゆくフェーズの国家にとって大切なのは、小さな改良、手持ちのものでできる手当。老人に大手術したら死んでまうがな。」

川井小学校閉校記念式典

12月 5th, 2012 by hasegawa

現在、第4回定例会(12月議会)、会期中です。

昨日は連合審査、本日は総務文教委員会、明日は民生産業委員会です。

13日に一般質問が行われますが、私の質問順位は一番になりました。

(13日(木)、10時から一般質問が行われます。)

もちろん、議会傍聴も可能ですので是非!(議会ホームページでインターネット中継もされます。)

 

写真は、11月24日(土)川井小学校閉校記念式典の様子です。

閉校予定の4校の記念式典の最後を飾る川井小学校。

在籍児童は12名と一番児童数は少ない小学校ですが、12名の児童の皆さん、とっても堂々とりっぱに閉校記念発表や校歌を合唱しました。

139年の歴史。地域とともに歩んできた川井小学校。

記念式典には大勢の地域の方、卒業生が出席され、児童の発表に胸をあつくされていました。

私も、幼いころから、祖父母に連れられて、運動会などの行事に参加させて頂いていましたし、社会福祉法人ほのぼの小千谷福祉会でも、運動会、文化祭、児童の皆さんとの交流などで本当にお世話になっているので、川井小学校の閉校には様々な想いでいっぱいです。

私自身は、小千谷小学校・小千谷中学校OGですが、父方の祖父母の家が川井でしたので、小さい頃は週末や長期休みにちょくちょく川井に通っていました。小学校のころ、弟と一緒に、本町から十日町行きのバスに乗り、細島で降りて、川井大橋が出来る前の渡し船によく乗って川井の祖父母宅に通いました。懐かしい想い出です。

  

  

  

  

12月1日(土) 18:30~ わかりやすい放射能のはなし 極楽寺 

11月 29th, 2012 by hasegawa

12月1日(土)18:30から 極楽寺さんにて、「中学校の先生に教えてもらう わかりやすい放射能のはなし」が開催されます。

是非、皆さん、ご参加くださ~い!

新潟遺産 そして 草間弥生

11月 29th, 2012 by hasegawa

BSN新潟放送創立60周年特別番組「新潟遺産~未来に遺したい故郷の宝」。

11月28日(水)よる7時から「観光部門」の放送がありました。

県民投票による人気ベストテンの発表には、残念ながら小千谷のランクインはありませんでしたが、特集として「大地の芸術祭・里山が笑った51日間」が放送されました。

大地の芸術祭を取り上げた番組の視点は、小千谷の今後の交流拡大、観光アピール、地域活性化に関しても、示唆に富むものであると思いました。

どう「小千谷のものがたり」を形作っていくのか?ですよね。

【番組案内】「大地の芸術祭」は十日町市と津南町を舞台に3年に1度開かれる現代アートの祭典で、5回目となったこの夏の全体の来場者数は48万人を超え、新潟の誇る一大観光イベントに成長しました。番組では、十日町市の願入集落で農家レストランを切り盛りするおかあさんたちの奮闘ぶりやお客さんやアーチストたちとの交流の様子をお伝えします。里山を舞台とした人々のふれあい、心の響き合いに、観光の原点を感じることができます。

※先日、新潟市に出かけた用事があり、新潟市美術館で開催中の草間弥生 ~永遠の永遠の永遠~展を見てきました!

草間弥生さんの作品は、大地の芸術祭の開催地 松代にも展示されており、また、昨年放送されたNHKスペシャルでの草間弥生さんの特集を見てすっかりファンになってしまいました。ですので、新潟市での作品展の開催、とっても楽しみでした。

草間ワールドに圧倒された素敵な時間を過ごすことができました!

作品ももちろんですが、草間さんの言葉に心をうたれます。

     

埋設農薬堀削無害化処理 現地視察

11月 28th, 2012 by hasegawa

民生産業委員会で現地視察が行われていましたが、総務文教委員会所属議員も視察させてほしいと、久保田陽一議員にお骨折りいただき、風間健一議員、私の三人で、先日、真人地内にある埋設農薬の処理現場を視察させていただきました。

そもそも、昭和46年農薬取締法に係る農水省令で、販売が禁止及び制限された残留性有機塩素系農薬「BHC、DDT、アルドリン、ディルドリン、エンドリンなど」は、当時、人体への健康被害などを考慮して、農水省の指導と補助により昭和47年度農薬安全処理対策事業により、地中に埋設処理された使用残農薬(POPs農薬)というものがありました。

その後、POPs農薬の適正な管理・処分を定めた「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約」が発効(2004年・平成16年5月)されたことにより、農水省は、このPOPs等農薬の無害化処理計画を策定、農水省の埋設農薬最終処理事業(平成16年度から5年間の予定)により、過去の埋設農薬の積極的な調査・掘削・処理が行われることになりました。

※関広一市長時代、長谷川きよ市議(当時)も埋設農薬問題について、一般質問させていただいております。

しかし、なかなか全国的に進捗しない状況が続いておりました。

小千谷市では、環境うるおい基金の活用も図り、2012年内に、処理を完了させる運びとなりました。

【新潟日報2005年7月22日】県は21日までに、地中に有害な農薬が埋設されている市町村に対し、無害化処理を早急に開始するよう要請した。関係市町村は今後、農業団体などと共同で「埋設農薬対策協議会」を個別に設置し、本年度中に処理計画をまとめる。対象となるのはBHCやDDT、ドリン剤などの有機塩素系農薬。体内に蓄積されると造血機能や腎臓、肝臓などに障害を引き起こすとして、1971―72年に全国一斉に地中に埋設された。

【朝日新聞2008年9月4日】(埋設農薬、未処理2千トン 補助金切られ10道県難航) 70年代に国の指導で地下に埋められた有害農薬の最終処理が頓挫している。国は国際条約を批准して来春までに処理を終える計画だったが、 財政難から10道県で2083トンが地下に眠ったまま。地震で地中に漏れ出る危険もある。国は「税源は移譲した」との立場で、解決のめどが立っていない。有害農薬が地下に埋設されることになったのは1971年、旧農林省が農作物に残留して体内に蓄積して健康被害を引き起こすとして、 アルドリン、エンドリン、ディルドリン、BHC、DDTの5種類の有機塩素系農薬の使用を禁止。最終的には無害化処理が必要だが、当時は高温焼却などの 技術はなかったため、地下に埋めるよう都道府県に指導した。30道県が計約4660トンを、プラスチックのコンテナに入れた上で、県有地や農薬メーカーの 敷地などの地下にコンクリートの箱に密閉するなどして埋めた。政府は02年、有害化学物質を規制する「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約」を批准したことから、地中に埋めた農薬の最終処理を検討。 条約に期限はないが、国は04年度から5年で処理する計画をたて、04、05両年度は国が費用の半分を負担する補助事業(各約4億円)を組んだ。 しかし、国から地方に税源を移譲する三位一体改革で、06年に補助金は廃止になった。農林水産省の4月時点の調査を基に朝日新聞社が調べた結果、30道県のうち20県で最終処理が完了していたが、10道県の120カ所で未処理だった。 同省は犯罪予防や安全維持を理由に埋設場所は非公表としている。05年の朝日新聞社の都道府県への調査で12道府県で周辺土壌や地下水への汚染が確認された。うち5府県では環境基準を上回っていた。その後、土壌の除去などが進められている。専門家からは地震などの災害時に地盤がゆるんで農薬が地中に漏れ出る危険性も指摘されている。94カ所と埋設場所が最多だった新潟県は、05年度から計約6億円を投じて処理を進めたが、88カ所が未処理で、うち74カ所は計画すらない。 埋設場所を集約せずに自治体単位で埋めたことが障害となっている。県の担当者は「予備調査に1年、掘削作業に1年はかかる。予算にも限りがあり、 やれる所からやっていくしかない」と嘆く。 北海道、滋賀、鳥取、岡山の4道県はまったく処理計画がない。北海道は最も数量が多く、農薬メーカーの敷地2カ所に計566トンが眠る。 担当者は「元々は国の指導で地下に埋めた。本来、条約への対応や農薬の管理は国の責務。財源を含めて国が最終処分まで対応すべきだ」と不満を隠さない。処理したくても物理的にできないケースもある。鳥取県は国が補助金を出す前から独自に処理に取り組み、45カ所を18カ所まで減らした。 しかし、残りの大半は建物や道路ができて、掘り返せないのが実態だという。10カ所中8カ所で処理を終えた長野県。上田市のゴルフ場敷地内は今年度中に処理できる予定だが、最後の1カ所は富士見町の農協の貯蔵庫の地下。 何とか建物を撤去せずに周りから取り除く方法はないか調査中だ。  農水省農薬対策室は「国から地方に税源が移譲された中で、最終処理の費用分も上乗せされている。最終処理を優先するか否かは各道県の判断次第」とし、 新たな予算措置の予定はないとしている。 東京農工大・細見正明教授の話 埋設された農薬が放置されれば、雨水などで周辺の土壌や地下水が汚染される可能性があり、 地震でコンクリートの覆いが壊れるおそれもある。国と地方の双方に責任はあり、責任の押しつけ合いで処理が進まないのでは、国際的には通用しない。 未処理の場所は処理できない事情や監視の状況をきちんと説明し、処理が済んだ場所も汚染の有無や処理の方法を公表して安全性を客観的に示していく必要がある。

↓ 埋設農薬堀削・ドラム缶封入の現場

  

  

  

  

  

  

  

上記の埋設現場から、慎重にドラム缶封入された残農薬は、秋田県の処理施設に運ばれ、焼却方式による熱分解により、無害化処理されます。

専門業者の方により、慎重に作業が進められておりました。また周囲の環境調査においても、農薬の流失や汚染はおこっていないとのことに一安心です。

残農薬の問題は、ゴミとして処理できない人体に影響を及ぼすものをどう人類が処理していくのか、という現実を突きつけるものです。(今、ここにある危機の顕著な例としては、「核のゴミ」をどうするのかという大問題があります。 たとえ全世界の原発が明日止まったとしても、10万年危険な放射性廃棄物は残る。世界にさきがけて高レベル放射性廃棄物処理施設(永久地層処分場)の建設を決定したフィンランド。高レベル放射性廃棄物は管理しうるのか?と問うドキュメンタリー「10万年後の安全」という映画もあります。)

埋設農薬に関しては、埋設当時は、ブルドーザーしかない時代で、現在の油圧ショベル・パワーショベル・バックホー等と呼ばれる建設機械がない中では、深く掘った穴などに埋設できないという時代背景上、小千谷の埋設現場では、桑畑の粘土質の土壌に埋めてあったので、周辺への浸出・汚染はなかったが、他市町村では、河川の傍などに埋めた例があったり、記憶があいまいで、埋設現場を特定できなかったりと非常に困難なケースもあると現場の指揮をとられている間組(はざまぐみ)の方に伺いました。

アスベストや埋設農薬など、何十年も前からその危険性が指摘されていたことですが、問題が表面化したり、適切に処理されるには、長い時間がかかりました。

現在は、ミツバチの大量死・大量失踪の原因ともいわれるネオニコチノイド系農薬問題や福島原発事故による放射能の問題が懸念されます。

今、目の前に危機は見えないかもしれない。でも現実に危機はある。

しかし、確実に世界は、常識は、変わっていく。

5割減減(ごわりげんげん)というノボリを見かけたことはありませんか?

農業者の高齢化や後継者不足等に理由にそんなことは夢物語だといわれてきた有機農業に関しても、確実に減々栽培、 JAS有機栽培、環境保全型水稲栽培へと変わってきています。

政治の分野でも、市民の安心・安全のため、チェック機能や政策・法律の立案、改正など、本気の仕事が問われます。

私も全力で頑張ってまいります。

表紙

11月 27th, 2012 by hasegawa

JA越後おぢやさんの11月号の表紙は、スローライフ小千谷の山本山での菜の花圃場でした!(表紙右側はそば畑、左側が菜の花畑です。)

JA越後おぢやさんとともに、NPO法人スローライフ小千谷も耕作放棄地の有効利用や農業の活性化を目指し、頑張っています!

今年初収穫の山本山でのスローライフ小千谷のそばはJA越後おぢやさんに品質検査をしてもらう予定です。

塩殿小学校閉校記念式典

11月 26th, 2012 by hasegawa

11月17日(土)、塩殿小学校の閉校記念式典が行われました。

こどもたちの力強い発表、圧巻だったのは、写真を使ってフォトモザイク(モザイクアート)と呼ばれる技法で作られた塩殿小学校の校舎( 大量の画像を使って、一枚の大きな絵に見立てるアートの手法)。

こどもたち、地域の方、先生方の想いが詰まった塩殿小学校。

地域の教育にかける、子どもたちに寄せる篤い想いに胸がいっぱいになりました。

  

  

↓地域住民総出で、校庭拡張のため、校舎を移動 (雪の上を校舎を移動)

  

お別れ会では、塩殿出身の方の津軽三味線の演奏も。

  

総務文教委員会④ 時水清掃工場

11月 26th, 2012 by hasegawa

時水清掃工場は、平成2年に工事費18億で建造され、平成13年に10億でダイオキシン対策を行い、24時間運転で、週末は炉を停止しています。

臭気は600度で完全脱臭され、場外に一切排水しない等、排水もきちんと管理されているそうです。

1日に120トンを処理できる能力(60トン×24時間×2基)がありますが、人口減や分別の進捗によりゴミの量が減っていることもあり、2基同時に使用はなく、交互に使用しているとのこと。

また長岡の定住自立圏のゴミ焼却に入らないかといわれたが、長岡の新施設の更新時期と時期がずれるし、小千谷は近年2基を常時使用しておらず、施設自体の延命が図れているので、当分、施設更新や新施設は考えなくて良いのではと考えているとのこと。

7月の総務文教委員会での富良野・札幌視察では、富良野市では焼却場がない(燃やすゴミはない、すべて資源ごみ)ことや札幌では、ゴミの分別、ゴミ減量に伴い、新規焼却場の建設費が浮いたことなども見聞きし、ゴミ処理に関しては、様々な取り組みに各自治体が創意工夫を重ねており、ライフスタイルも含めた市民生活の根幹を見据え、どう選択していくのか、問われる課題だと考えます。

  

↓飛灰はここに落ちます。ダイオキシン・セシウム等の問題があるので、きちんと防護服を着て、帽子・粉じんマスクを着用し、作業員は運び出しをするとのこと。

       

総務文教委員会視察③ 清流園

11月 26th, 2012 by hasegawa

衛生センター清流園は、市内の多くが公共下水道を使用している中、合併浄化槽や農業集落排水の処理を行っています。

設備の経年化や処理量の減少に伴い、設備更新を予定しています。

  

  

  

  

  

清流園脇には、水力発電所の跡地があります。レンガ造りの遺構に、往時を偲べますね。1904年の運行開始!、完成当時は全国で2番目の発電量だそうです。

塩殿発電所 出典:ウィキペディア

現在の新潟県長岡市にあった北越電灯会社の水力発電所。

  • 河川 – 信濃川
  • 最大出力 – 1200kw
  • 周波数 – 60サイクル
  • 運用開始 – 1904年(明治37年)
  • 運用停止 – 1951年(昭和26年)
  • 完成当初は全国で2番目の発電量だった。
  • 小千谷市塩殿から取水し、地下を抜け、調整池・発電所へ至った

(歴史)刈羽横沢村(現長岡市小国町)の山口権三郎により二年の歳月と40万円(当時)の資金を使って建設された。信濃川沿いのこの地形が適している為、この地に建設したという。そして、1904年(明治37年)、運用開始。小千谷・長岡などに送電していた。後に越後水力電気株式会社になり、東北配電会社に合併された。1951年(昭和26年)、国鉄信濃川発電所の建設により水位が下がり、発電停止。その後、国鉄に買収された。現在、近くに清流園小千谷市川口町衛生センターが建っているが、調整池等の遺構が残っている。

参考文献:小千谷の歴史編集委員会編『小千谷の歴史(二十四版)』小千谷市教育委員会。