秋の一日

9月27日、市民会館にて西脇順三郎生誕120年記念講演会に要約筆記活動。 その後、わかとち楽校の内山節先生の「里の思想・まちの思想」講話を聴講。

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内山先生の講話の冒頭に、社会の捉え方がヨーロッパでは「生きている人間だけが構成員」、日本では「自然、人間(生者・死者)が社会の構成員」という社会観を説明されましたが、今日の御嶽山の噴火、社会生活に大きく自然が立ちはだからざるを得ないのが日本の特徴なんだなと感じさせられます。自然と真摯に向き合う中での政策決定が改めて基本だと実感させられます。

また、講話の中でも、納得のキーワードが続々。 自分たちが持続できるビジネス。誰も傷つかない経済。地域社会の中に、いろんなコミュニティーがある。1つだけの組織体に皆が結集しているのが共同体ではない、大小・濃淡・新旧等の多層のコミュニティーが多様にあることが共同体の姿。地域経済の中に市場経済に依存しない経済がある。

そして、人間関係の中に「いのち」があるという内山先生のお話には、平野啓一さんの分人主義や三好春樹さんの関係障害論にもつながる話。 今の時代の「自尊心の肥大化と自己肯定感の低さ」の息苦しさを突破する思想ですね。

内山先生の「伝統回帰」は、言葉だけだと復古主義的なんですが、コミュニティの創造を目指す様々な動きの中で、企業から離脱する人々、ソーシャルビジネスやエシカルビジネスやコミュニティビジネスなど、新しい動きを見せる人々がいる現状で、学びながら作り直す農山村的社会が未来のヒントであるとする、とっても革新的な思想。

内田樹さんが、9月17日にツイッターで、『内山節『自然と人間の哲学』読了。「商品経済以前の社会」への憧憬を隠さない著者の「ふっきれぶり」に感動しました。内山さんがこれを書いたのが30年前。さきほど藻谷さんからうかがったのは、商品経済以前の山村生活に果敢に入り込んでゆく若者たちの話でした。その符合にびっくり。』とつぶやかれているんですが、12月5日(金曜日)午後7時~「里山資本主義」と題して、藻谷浩介さんと内山節さんが小千谷市民会館で対談するという贅沢。

会場からの質問で「教育」、「高齢化社会」についても、話題が及び、今の教育の中では、卒業後の学びがない、自然に身につく技術・技がない社会の中では、高齢者は「宝」ではなくなるというお話にも、使い捨て、誰でもできる、かえがある、スペアがある雇用、労働では、人が大切にされない、地獄のような人件費削減のスパイラル、どこまで他国の人件費と競争させられるのか的な日本の現状に納得。 確かに農山村的社会では、経験値が宝ですもん。

新たな価値づくり、どういう社会を目指すのか、豊かさとは何か、考えさせられた一日でした。

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