中越地震から8年

2012年10月23日。中越地震から8年が経過しました。

午後5時40分から「おぢや10・23のつどい」(市主催・市民学習センター楽集館・小千谷市上ノ山)で、黙とう、献花した後、地震で児童3人が犠牲になった塩谷集落へ向かいました。

泉田知事も、塩谷集落観音供養塔前で黙とうした後、中越地震の後に交流拠点として整備した「芒種庵」で、塩谷住民の皆さんといろりを囲んで懇談されました。

雨の中、住民の方も、大勢、知事を見送りに出られていました。

インフラ整備など目に見える傷跡への復旧作業は完了したように見える中越地震の被災地ですが、地震により、地域の時計の針は一気に進み、高齢化・過疎化など、地域の課題が浮き彫りになっていることも目立ってきました。

中山間地を襲った中越地震。日本の原風景の営みを守る、維持していくための取り組みや仕組みづくりは小千谷だけでなく、日本全体の課題にもかかわるテーマでもあります。

塩谷集落では、交流拠点として整備した「芒種庵」や県外・県内学生さんをはじめとする外部との交流に取り組む「塩谷分校」など、様々な活動を通じて、この8年間、途絶えることなく、地道に、かつ確実に、地域の活性化を図っています。

私自身、何度もお邪魔させていただき、パワーをもらい、地域の活性化、まちづくりについて考えさせられることが多いのですが、塩谷の方たちは、「すごくなんかないてー、あたりまえのことをしてるんだてー」「若い人が来てくれるだけで、こっちもパワーをもらっているんだ」とおっしゃいます。

外部の方をもてなすというだけの交流ではなく、「若者・よそ者・ばか者」と胸襟を開いて交流できる塩谷の懐の深さにいつも感銘を受けます。(ばか者というのは比喩ですので・・・。現代社会の地域活性化の3大キーポイントですよ!)

塩谷集落の観音供養塔前にて黙とう。

塩谷センターにて阪大の学生さんと塩谷分校の感謝状贈呈。阪大や立命館の学生さんなど多くの学生の方が、田植え、盆踊り、稲刈りなど、何度も何度も塩谷を訪れて、住民の方と交流を続けています。

学生さんから、色紙を受け取る関芳之さん(塩谷)。

東山地区特別研修生の五味さん(左)と星野まさふみさん(塩谷)

阪大の渥美公秀教授(中央)。

 

いつも集落では屋号で呼び合うので、下の名前で呼んでくれる学生さんが新鮮だと塩谷の方はおっしゃいます。

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